キープ・ア・コートスピード



「おっせー」

高校を卒業してから一年と少し、久し振りに会った阿部に 免許を取った、と告げたら返ってきた言葉がこれだ。
相変わらずこいつは口が悪い。

 

キープ・ア・コートスピード

 

「だってオレもう若葉マークじゃねえし」

初心者の車なんか乗ってられっかよ、と、結局車を出したのは阿部だった。
いや、分かってたよ、こうなるだろうなって事くらいは。
確かにオレは免許取立てだし、若葉マークだし、 ノロノロスピードだし、右折すんのはまだ怖いし。
でもせめて「よかったな」とか「おつかれ」とかそういう一言があってもいいんじゃねーの?
なーんて事、思いはするけど口には出さない。
これが他の野球部のヤツなら言えるんだけどなぁ。
なんでだろう。自分でも不思議だけど、どうも阿部には言えない。
というより言ったところで「うっせーな」って言われて終わりそう。 ていうか絶対終わる。
オレと阿部のこの関係は高校一年のときから変わっていない。
おかしいよな、これでもオレ一応三年間主将だったんだけど。
副主将に強く言えない主将っていうのもなんか情けない気がするが、 学生時代に刷り込まれてしまったこのヒエラルキーが今更変わるわけもない。
ちなみに一番てっぺんはモモカン、そして篠岡だ。

「あれ、そういやしのーかは?」
「図書館。水谷拾った後迎えに行く」

まさか篠岡が阿部と付き合うなんて考えてなかった。
阿部には口が裂けても言えないが、 冗談抜きで、野球部のヤツら全員一度は篠岡に恋心を抱いたと思う。
正直言うとオレもその一人だ。
ただそれが本気の恋に変わらなかっただけで、 ちょっと優しくされたり、微笑み返されるだけで 「あれ、もしかして篠岡オレの事が好き?」なーんて思ってしまう男子高生を誰が責められる。
もちろんそれは完全な勘違いと思い込みで、 篠岡は部員全員、平等に接していただけなんだけど。
だから篠岡が阿部を好きだなんて事には全く気付かなかったし (あの態度で気付けっていう方が無理だ)、 逆に阿部が篠岡を好きだっていうのにも気付かなかった。
学生時代もいわゆるバカップルっぽいところは一切なくて、 むしろお前ら本当に付き合ってんの?と突っ込みたくなるくらいに淡白だった。
付き合ってると知っているオレたちから見てもそうだったんだから、 クラスのヤツらにも ただの部員とマネージャーにしか見えてなかっただろう。
付き合いが公になったときに水谷が開口一番「阿部に篠岡はもったいないよ~」 と嘆いていたことを思い出す。
その意見には激しく同意で、正直、 すぐ別れて篠岡が泣く羽目になるだろうとあの頃のオレは考えていた。

「お前ら結構長いよなー」
「そうか?まだ三年ちょいだぞ」

阿部の車の助手席に乗り込み、シートベルトを着ける。
ここ最近ずっと運転席ばっかりだったので、助手席に座るのがなんか変な感じだ。
「もう」じゃなく「まだ」と言うのが阿部らしい。
分かりづらいが「これから先も篠岡と付き合っていくつもり」っていうのが、 ぶっきらぼうな言葉から伝わる。
「ちょいと待ってな」と言いながら阿部がちゃかちゃかと携帯を打つ。
おそらく篠岡にメールでもしてるんだろう。

「んじゃ、まず水谷捕まえに行くか」
「おー」

打ち終わった携帯をジューススタンドに入れた直後、ブンとエンジンをかける音が鳴る。
まだ免許を取って一ヶ月。
やっぱり自分でハラハラしながら運転するよりも人の運転のが楽だよな、 なんて思っていたけれど、それが間違いだったことにすぐ気付いた。

「お前スピード速いって!」
「おい、ぶつかるぶつかる!」
「ipodなんか触ってんじゃねーよ!」

免許を取る前と後とじゃ車に乗る意識が変わるというが、まさにその通りで。
阿部が運転している間にどれだけ叫んだか自分でも分からない。
その都度「法定速度だっつーの」 「こんだけ車間距離あればぶつかんねーよ」 「心配しなくても前見てるって」と 明らかに苛立った声で怒鳴り返された。
え、なに、これが普通なの? いやいや、でも親父もお袋もここまで運転荒くないぞ? もしかしてうちが極端に安全運転なだけ? これならまだ自分で運転した方がハラハラの度合い低いんじゃねーの?

「お、いた」

必要以上に心臓をバクバクさせているうちに水谷との待ち合わせの場所についたらしい。
プ、とクラクションを一つ。
窓を開け水谷を呼ぶと「花井久し振りー」と、 全然久し振りそうじゃない感じで軽く拳を出してきたので、 いつもと同じようにその拳を右手で受け止めた。
わざわざ迎えあんがとー、と水谷が後部座席に乗り込むと同時に 「あれ、しのーかは?」とオレと同じ事を阿部に聞く。 その声のトーンで水谷がオレらなんかよりも篠岡に会いたがっていたことがすぐに分かった。
「今から拾いに行くんだよ」と言いながら、阿部がアクセルを踏み込む。
その瞬間、運転席と助手席の間に身を乗り出していた水谷が後ろにすっ転んだ。

「阿部ェ!運転荒い!」

そのブーイングに思わず吹き出し「だよな?」と同意を求めた。
よかった。そう思うのはオレだけじゃなかったんだ。

「お前らさっきからうっせーなー。こんくらい普通だって」
「全然普通じゃねーよ!」
「そーだよ、安全運転安全運転」
「安全運転だろうが。スピードだって出してねぇし」
「そーゆーんじゃなくて、なんていうの?ハンドル捌きが荒い!」
「つーか篠岡もいつも乗ってんだろ?」
「”運転怖い!”とか言われない?」
「全ッ然言われない」
「えーそれおかしいって!絶対阿部に遠慮してんだよ!」
「今更そんなん遠慮する間柄じゃねーよ 」
「なんだよー!ノロケかよー!」
「今ののどこがノロケなんだよ!」

運転席と後部座席とでギャンギャンと騒ぐその姿は、まるで高校の時と変わらない。
相変わらずうるせーなー、なんて笑っていると、ジューススタンドに入れられていた阿部の携帯が鳴り出した。
ディスプレイに表示された文字は「着信:篠岡千代」。

「花井、ちょっと出て」
「へ?いいのか?」
「運転中に出る方が問題あるだろうが。あと5分もかかんないっつってくれ」

ホラ、と携帯を胸の前に差し出される。
おいおい、マジかよ。
篠岡と携帯で話すなんてことはもちろん今までもあった。
けれど阿部の前で、阿部の携帯で、阿部のカノジョと話すというのは何か違う気が、する。
水谷に渡そう。そう思ったが、どうやら時既に遅し。携帯はもう通話状態だった。

『もしもし、隆也くん?』

携帯から漏れてくる篠岡の声に、オレは仕方なく携帯を耳に寄せた。

「あ…と、阿部ならまだ運転中なんだけど、」
『あ、その声は花井くん?久し振りだね!』
「おー、久し振り。さっきから信号にひっかかりまくってんだ。あと5分もかからないから」
『了解っ。さっき阿部くんからメールあったんだけど、ちょっと時間かかってるからどうしたのかと思ってたんだ』
「ああ、水谷を先に拾ったんだ」
「しのーかー!オレだよー!」
『アハ、水谷くんの声聞こえたー。そういうことだったんだね。じゃあ道の方まで出て待ってるよ。会えるの楽しみにしてる!阿部くんにも気をつけて運転するよう伝えておいて』

じゃあまた後で、と言って通話を終わらせ、またスタンドの中に携帯を放り込む。
他愛のない会話とはいえ、カレシの横でカノジョと話すのはやっぱり少し緊張するもんだ。
篠岡に言われたとおり「道の方で待ってるって」「気をつけて運転しろだとよ」と阿部に伝えたが、 至極あっさりと「聞こえてた」と返された。
後部座席では水谷が一人、篠岡に会うの久し振りだー!と騒ぎ出した。
「今どんな感じ?」「高校のときと変わんない?」「髪伸びたりしてる?」と阿部に聞いては 「どうせもう会うんだから聞かなくてもいいだろ」とうざがられている。
この様子だとどうやら水谷には聞こえていなかったらしい。
阿部のことを「隆也くん」と呼ぶ篠岡の声が。
電話に出たのが阿部じゃなくてオレと分かると「阿部くん」と切り替えるあたりがさすがだよなぁ、なんて変なところで感心する。
そうこうしているうちに図書館まであとわずか。一つ手前の交差点で赤信号に引っかかってしまった。

「あ、そうだ花井、お前図書館着いたら後ろに移動しろよ」
「へ?別にいいけど……」
「ちょっと!なんだよ阿部!そんなにしのーかをオレの隣に座らせたくないわけ?もしかしてオレ以外の隣には座らせたくない!とかいうヤキモチ?」
「ちっげーよ!あ、でも確かにお前の隣に座らせるのは嫌かもな」
「うわ、ひどい!花井今の聞いた?阿部ひどすぎない?」
「いやー、なんて言うか…」
「全然ひどくない。っていうか人として当然」
「えー、そこまで言うー?」
「冗談間に受けんなよ。あいつ車弱ェの。助手席じゃねーとすぐ酔うんだよ。だから」

信号の色が青へと変わり、発進の衝撃と共に車は更に図書館へと近づく。
篠岡はどこだろう、と目を凝らすがどこにいるかがわからない。
そうしてオレが篠岡を見つけるよりも先に、阿部がウィンカーを点け歩道の方へと車を寄せた。
そこでようやく気付く。 街路樹の下、高校のときと同じ笑顔――それなのに高校のときとは全く違う雰囲気をまとった篠岡がそこにいた。
篠岡もこちらに気付いたようで、小走りで車に近づいてくる。
後部座席乗り込もうとする篠岡を引き止め、オレが車から降り前へ乗るように勧めると、どうやらそれだけで篠岡には先ほどのオレらのやり取りが分かってしまったらしい。小さく「ごめんね」と謝られた。
篠岡が前に乗り込むのと同時に、後部座席真ん中に陣取っていた水谷を少しだけ奥へと押しやる。
車の中に女子が一人混ざっただけで、水谷がますます騒がしくなった。
ああ、全く。水谷の鈍感さが本当に羨ましい。
水谷が篠岡に対して「可愛くなった」「綺麗になった」という度に険しくなる阿部の表情が、見るつもりはないのに、バックミラーで見えてしまう。

「そろそろ出発するぞ」

阿部の軽い怒気を含んだその声に、水谷は右手を手すりへ、左手を運転席の肩の部分へと置いた。
阿部の出発時のアクセルの踏み込みは強い。 今までの経験からオレも衝撃に備えた。
が、さっきまでとは打って変わって、車は静かに発進を始めた。
みんなとの待ち合わせの場所へと向かうため、車は右へ左へと曲がるが、まるでさっきまでが嘘かのような丁寧な運転だ。
オイオイ、篠岡が乗った途端に変わり過ぎだっつーの。
オレのそんな心を知ってか知らずか、やめればいいのに

「いやあ、阿部って本当に安全運転だなー、しのーかがいるときだけ」

水谷が言うと、篠岡が「でしょ?」と笑顔で後ろを振り返った。
どうやら篠岡にこんなからかいは通じないらしい。
思わず水谷と顔を合わせて笑う。
「なんだー、このバカップルー!」と大声で叫んだ水谷に続いて、阿部の怒声が飛んだ。

 

(07.10.07/08.05.03) もどかしい二人へ5のお題 / 別に、理由なんてない

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