死にたがりの恋人



 ねえ、秋夜。どこか空いてる土地はない?
 真奈がそう尋ねたのは秋夜の家に移り住んで数日経ってのことだった。

「土地……?そういうことは御屋形様に聞いてみないと分からないが……」

 久方振りに見る真奈の神妙な面持ちに、秋夜は眉をひそめた。 土地とはすなわち領地――領主のものだ。 越後の境目では未だに領土を巡る小競り合いが絶えることなく起こっているし、自分たちのような身分のものが欲しいと望んだからといっておいそれと手に入るようなものではない。 戦場で戦果を上げ、その褒章としてようやく得られるそれに真奈が興味を持つというのは如何なる理由があってのことだろうか。 それに――

「言い方は悪いかもしれないが、真奈には土地を治める様な力はないと思う」
「え?」
「御屋形様もきっと許可はして下さらない」

 秋夜は今、自分がひどくきつい顔をしていることを自覚していた。
 いつだったか、真奈が翠炎について尋ねてきた時のことを思い出す。 これでは駄目だと分かっているのに、溢れ出す得体の知れない感情が秋夜自身を満たし、惑わす。真奈と出会ってから、秋夜は初めて自分で御することの出来ない感情があるのだと思い知らされた。
 あの時は急に怒って飛び出していった真奈に途惑ったが、怒ってくれた方がまだいいと思えるようになったのはもうしばらく経ってからのことだった。
 今にも泣き出しそうな傷ついた顔をされると、経験の浅い秋夜にはどうしたらいいのか全く分からなくなってしまう。そんな自体だけはどうにかして避けたい。
 けれど、真奈の反応は秋夜が想像していたものとは全く違っていた。

「秋夜、なんか勘違いしてない?」
「……何をだ?」
「土地って聞き方が悪かったかな。私が聞きたかったのはこれを蒔くところだよ」

 そう言って差し出された真奈の手のひらの上には白い綿毛をつけた花。
 いや、もう花とは言えないかもしれない。 

「秋牡丹?」
「この時代ってコスモスがないんだね。 何か秋に咲く花はない? って聞いたら瑠璃丸君がこれだって。 名前までは聞かなかったけど、そんな名前なんだね」

 刀儀さんのお墓に供えたいんだ。
 少し寂しそうに微笑みながら真奈は続けた。
 今はもう亡くなってしまった先代の名前を出す度に、真奈はこんな表情をする。
 なるほど、花を育てたかったのか。
 真奈が領地を欲しがるわけがなかった。とんだ勘違いに気づいた秋夜は、真奈からもう種子となってしまっている花を奪うと、代わりに手を繋いだ。 真奈の手を引いて家の外へと出、そのまま裏手へと回る。 秋夜の手伝いをしている真奈も知っての通り、そこには何種類になるか分からない薬草の数々が植えられていた。

「ここなら空いてる」

 薬草をすぐに育てられるようにと、常にこの一帯の土起こしは済ませてある。そのうちの一区画に秋夜は膝を突き、種を蒔くべくさっと手で土をならす。
 秋夜の仕草を見るや否や、すぐさま真奈も同じように地べたへと座り込んだ。

「私がやる」
「駄目だ。土で汚れる」
「やりたい。お願い、やらせて」

 秋夜はこれまで一度たりとも真奈にこうやって直に土に触れるようなことはさせたことがない――手伝いをしたいと言われたときも、せいぜい葉を取らせたり、天日干しをして貰うくらいだ。
 御屋形様にくれぐれもと頼まれた手前――というのももちろんあるが、やはり御使い様の手を汚すようなことがあってはいけない、とどこかで思っていた。
 けれど出会って数ヶ月。 これまでにこうやって真剣に頼む真奈のお願いを聞けなかったことなど一度としてないし、止めても無駄であることは一目瞭然だ。
 なぜならもう既に真奈の手は土に触れていた。
 指で小さく穴を開け、花から種子を取り、土を被せる。
 真奈は無言でその作業を繰り返している。
 こうなってしまうともう秋夜の声は真奈には届かない。
 仕方がないので、秋夜は黙ったまま真奈を見守ることしか出来なかった。

 

***

 

 真奈が全ての種を土に蒔き終わる頃になるといつの間に居なくなっていたのか、家の方から秋夜が水を張った手桶と柄杓と共に現れた。 柄杓を受け取り種を蒔いた一帯に水を撒く。 土が水を吸い色濃くなる様子がどこか嬉しい。
 水を撒き終えたところで、秋夜が真奈の右手を掴み、目の前まで持ち上げた。 土で茶色く汚れてしまった手を、秋夜は不満そうに、真奈は楽しそうに見つめた。

「すごい、爪の中まで真っ黒。子供のとき以来かも」
「だから汚れると言った」
「もしかして怒ってる?」
「怒ってはいない」

 そうは言うが、眉間にしわを寄せたままでは全く説得力がない。
 手桶に残った水で手を洗おうとしたが、手が凍えるからと止められてしまった。 けれどとうに土に触れた手は冷えてしまっている。 それに気づいたのか、土にまみれた真奈の指先を暖めるように秋夜が両手で包み込み、はぁと息を吹きかけた。

「汚れてるのに」
「俺は気にしない」

 秋夜はそのまま自身の指を真奈の指へと絡め、体を引き寄せた。もう一方の腕を腰に巻きつけると、されるがまま、真奈も秋夜へと体を預ける。ぴったりとくっついた部分が、とても暖かい。

「……それに、先代も気にしてない」

 少しうつむいた真奈の額が秋夜の肩をぐっと押した。何かを堪えているのが、すぐに分かった。
 真奈のせいじゃない。
 こと何度言っても、刀儀の死について真奈が納得することはない。きっと一生自分を責めることを止めないのだろうと、秋夜は諦めにも似た気持ちで、そんな真奈を受け止める覚悟を決めていた。

「家に戻ったら湯を沸かす。それで手を洗おう」
「……うん」

 使命を果たして命を失くすのは本望だと、今でもその気持ちに変わりはない。
 けれど真奈は死なないでと言う。
 きっと自分が死んだならば、今腕の中にいる愛しい人は今以上に自分の死を悼んでくれるだろう。
 だからこそ――命を懸けて、戦うことが出来る。

『死なんと戦えば生き、生きんと戦えば必ず死するものなり』

 政虎の言葉が脳裏を掠める。
 顔を上げた真奈の唇をそっと吸い上げ、秋夜は改めて誓った。

「俺はずっと真奈の傍にいる」

 この命がある限りは、と。

 

 

死にたがりの恋人

 

(10.09.15)ヨルグのために / タイトルお借りしました

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