グッナイ、ハニー



「帰るのが遅くなる」
そうメールすると「了解。気をつけてね」といつものように 女の子らしく絵文字付のメールが返ってきた。

 

グッナイ、ハニー

 

高二のときから付き合いだし、気付けば三年目だ。
高校卒業前「オレ家を出るんだ」と、告げ、実際家を出た後もその付き合いは変わることなく。
ほぼ毎日のようにウチに通い、毎週末泊まる篠岡に「一緒に住むか?」と聞けば、笑顔で頷いた。
篠岡の家に挨拶に行くときは「親父さんに殴られるかもな」なんて考えていたが、 それは全くの杞憂で、逆に「娘を頼みます」なんて頭を下げられてしまった。
始めにオレが家を出たときの条件そのままに、家賃は親に頼らせてもらっているが、 その他の生活費はオレと篠岡のバイト代でなんとか賄っている。
篠岡は篠岡で親からの仕送りがあるのかもしれないが、それにオレは関与していない。

昔から篠岡は他人に気をつかうヤツで、 オレが何も言わなくても、気が付けば自分から動いていた。
それは一緒に住み始めても同じで、オレがいない間に掃除はしてあるし、 夜、オレより遅く寝てるはずなのに、朝にはもう飯が作ってあって、 正直ちょっと頑張り過ぎなんじゃないかと思う。
「そんなに無理しなくてもいいぞ」と声をかけたこともあったが、 高校時代と同じように「無理なんてしてないよ」「好きでやってるんだよ」と返されては それ以上何も言う事が出来ない。

だから、こうやってぐっすりと眠っている篠岡の寝顔を見るのは、 もしかしなくても初めてだ。

 

「ただいま」

バイトが終わって、部屋に帰る頃には既に日付が変わっていた。
玄関のドアを開けると、いつも必ず聞こえてくる「おかえり」の声が聞こえてこない。
靴はいつものように並べられているし、(そもそもこの時間に出かけるわけがない) 閉じられたドアから僅かにもれる光とかすかに聞こえてくる テレビの音量は明らかに篠岡がそこにいることを示している。
どこか違和感を抱きながら歩みを進め、もう一度「ただいま」と声をかけると、 そこにはソファで丸くなったまま眠る篠岡の姿があった。

「おい、こんなところで寝てると風邪引くぞ」

寝るならベッドに行けって、と 篠岡の顔を覗き込んでみるが、まるで起きる気配がない。
珍しくテーブルの上に置かれたままになっている 食べ終わったままの食器を流しへと運び、軽く水に浸しながらふと 「あれ、オレが最後に食器洗ったのいつだっけ」そう思った。
篠岡と一緒に住み始めてから、食べ終わった食器を下げるのも、 そしてそれを洗うのも全て篠岡がやっていたような気がする。 というか確実にやっていた。
現にここ数ヶ月の食器洗いの記憶はおろか、掃除と洗濯の記憶もオレにはない。
水に浸しただけの食器を再び手に取り、久し振りに食器洗いのスポンジを掴んだ。
溜めてある食器なんてものはなく、 洗わなくてはいけないものはさっきオレが運んだ分だけで、 普段いかに篠岡がキッチリしているのかがわかる。

オレ、篠岡に甘えすぎじゃね?
食器を洗い終え、部屋に戻り、 思わずしげしげと篠岡の寝顔を見つめてしまう。
篠岡はいつも遅寝早起きだし、同時にベッドに入って戯れた後も一緒に眠りについてしまって (そしてまた早起きだし)、今までずっと篠岡の寝顔なんて見たことがなかった。

やっぱ、可愛いよな。
肌つるつるしてる。
(ほっぺひっぱんの楽しいし)
まつげ長え。
(セックスん時に涙ひっかかってんの結構くるんだよな)
唇はふにふに。
(あー、キスしてえ)

規則的な寝息に胸が僅かに上下して、 「こいつ生きてるんだな」なんて今更当たり前のことを実感する。

「篠岡」
「しのーか」
「し、の、お、か」

何度か呼びかけるけれど、全く応答がない。
よほど疲れてるのだろうか。
シャワーはもう朝起きてからでいいか、と、とりあえず服だけ着替え、

「千代」

答えないと分かりつつ、また声をかけ、唇に軽く口付ける。
電気を消し、篠岡を起こさないように気を遣いながら ベッドへと移し、そのままオレも横に潜り込んだ。
なんとなく、セックスの後みたいに篠岡をギュウと抱きしめる。
普段こんな事しないから妙な感じがするけれど、 「ん」と一瞬だけ苦しそうな声が出した篠岡が、そのままスリスリっと猫のように オレの胸に顔をすりよせてきたので良しとする。
寝顔を見れたことは嬉しかったが、篠岡を疲れさせるなんて事はオレの本意じゃない。
とりあえず朝になったら「何か家事を手伝わせてくれ(せめて食器洗いくらいは!)」とお願いしてみよう。
一人だけ遅寝早起きなんてしないで、セックスなんてしなくたって こうやって毎日一緒に抱きしめあって寝るのもいいと思うんだ。

 

(07.10.07) 微妙な19のお題>>きみと共有するものは、空気とことばと、それともう一つ

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