ケンカのその後で



ケンカの原因はとてもくだらない事で、 今思えばなんであんな事で怒っていたのかわからない。
すぐに許してしまえばそれで終わることだったのに、 なぜか意地になって、それにまた阿部君が怒って。
思わず「もういい、阿部君なんか知らない。別れる!馬鹿!」と言い捨てて逃げたら、想定外。
まさか追いかけてくるなんて思わなかった。

 

ケンカのその後で

 

「それ以上こっち来ないで」

手を前に差し出して制止のポーズを取っても、阿部君はそんな事おかまいなし。
ずんずんと近づいてきて、私の前に座り込んだ。

「付き合ってるの秘密にしようって言ったの阿部君だったのに。 絶対、花井君にばれた」
「もーいいよ。どうせいつかばれただろーし」
「あ、ごめん間違えた。もう別れたんでした」
「それはそっちが勝手に言ってるだけだろ」

オレは了承してねーよ、と、阿部君が私の右手を握る。
ここ数日ずっとケンカが続いてたから、こうやって阿部君に触れるのは久し振りだ。
違う違う。そういう問題じゃない。

「千代なんて、呼んだことないくせに」
「うん」
「なんで、急に、そんな」
「これから呼ぼうと思って」

なによ、それ。
名前呼べば私が許すとでも思ってるの?

「これからなんてないもん。 私、まだ許してないし、阿部君だってさっき怒ってたじゃん」
「だから、あれはオレが悪かったって」

喋りながら思わず涙が出そうになるのを堪えて、視線を阿部君からはずすように下に向けた。
でも阿部君はそれをわかっているのか、今度は覗き込むように下から私を見上げてくる。

「ちゃんと謝ろうと思ったから追いかけてきたんだぞ?」

ギュ、と、私の手を握る力が少しだけ増す。
その手が少しだけ震えてるのが伝わる。
阿部君は、ずるい。
本当はもう私が怒ってない事を知ってる。
素直になれないだけだって分かってる。

「ごめん」

私は何度彼にこの台詞を言わせただろう。
堪えきれなくなった涙がぼろりと落ちてくる。

「本当にもう駄目なら、この手、振りほどけよ」

そんな事言っても、振りほどけないくらい強く握ってるくせに。
阿部君はずるい。けど、私だってずるい。
阿部君にばかり謝らせて、本当は私も謝らなきゃいけないのに。
ごめんね、って。別れるなんて嘘だよ、って。
でも次から次に出てくる涙がそれを邪魔する。
だから、空いていた左手をそのまま阿部君の背中へと回した。
阿部君もそれに答えてくれたのか、私の背中へ腕を回し、 まるで子供をあやすように撫でてくれた。
馬鹿だなぁ、それ逆効果だよ。余計に涙が出ちゃう。
ときどきポンポンと叩いてくれる手が心地いい。
阿部君はそのまま、私の涙が止まるまでずっとそうしてくれた。

 

「泣き止んだか?」

しばらく経ってようやく私の涙が落ち着くと、今までの気まずさを誤魔化すように阿部君がキスをしてきた。
いつもしてくれる、優しいキスだ。
阿部君の息が近い。
そのままぎゅうっと、さっきまでとは全然違う、強い力で抱きしめられる。
あっという間に腕の中に閉じ込められた。
阿部君からはお父さんとは違う、男の子の匂いがする。
野球やってるからかな?キャッチャーだからかな?
手がごつごつしてるし、腕もがっちりしてる。
そんな事を考えているうちに、徐々に唇をずらされて、それは耳の裏を這った。
今まで感じたことのないその感触に背中がぞくぞくっとした。

「ちょ、や…」
「なんで?」

なんで、って…、だって。今までこんなこと、したことない。
私には何がなんだか全然分からない状況だ。
けど、阿部君は私の制止の声なんて気にも留めず、続けて耳を咥えた。
わずかに耳にあたる息が、また私を感じさせる。
れろっと舐められたところに風が当たって冷たい。
耳に、首に、そして目に。 さっき流した涙の痕までも舐め取られる。
それらは冷たいはず、なのに熱い。
千代、と、私の名前を囁きながら背中を撫でる手は、 さっきと同じはずなのに、思わずびくん、と反応してしまう。

「ひゃ、」

しつこく攻められる度に、 今まで自分でも聞いたことのない声が出て、恥ずかしい。
それらをしばらく繰り返し、再度、阿部君のキスは私の唇に落ちてきた。
そのキスはまるで私を食べちゃうんじゃないかってくらいに、激しくて、息がうまく出来ない。
こんなキス、初めてだ。
阿部君の舌が、私の舌に絡む。
生温かくて、柔らかい。口の中を舐められるって、変な感じがする。
ぞわぞわってくすぐったいのに、気持ちいい。
けど、どうやって息をしたらいいのかわからなくて、苦しい。

「ふっ」

と、息が漏れる音が自分の耳に届く。
ああ、やばい。私このまま流されてしまいそうだ。
そう思った瞬間、阿部君が私の体を引き剥がした。
急に離れたせいで、今まで触れ合っていた部分が寒くて、寂しく感じる。

「ごめん」
「ど、したの?」
「ちょっとやりすぎた」

なんて、今更。
よく見ると阿部君の顔も腕で隠してはいるけれど真っ赤だ。

「ここじゃこれ以上何もしない」

後処理に困る、と目を逸らしながら呟く阿部君に思わず笑って 「残念でしたー」と軽く頬にキスをすると、 「うるせえ!」と怒鳴られる。
でもこの怒鳴り声に、怒気が含まれていないのはバレバレだった。
今なら素直に言えそうな気がする。

「私もごめんね、阿部君。別れるなんて嘘。大好きだよ」

そう言って阿部君に抱きつくと 「だから、今くっつくなって!」とまた怒られた。
このまま授業をサボることは確定。
ああ、でもこのあとの部活のことを考えると憂鬱かもしれない。
だって、きっと水谷君あたりに突っ込まれるもん。

 

(07.09.16) もどかしい二人へ5のお題>>目が合わせられないのは

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